僕の未熟なエッセイたち

僕が綴るエッセイです。

僕はもう一度「革命家」を目指します。仏教を学んで考えたこと。

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こんにちは、ひこです。

1週間ほど前、正確には2019年7月22日〜7月24日の2泊3日で、タイ北部のWat Pa Tham Wua というお寺に修行に行ってきました。

 

食事(朝・昼の二回)、宿泊が無料で、瞑想・歩行瞑想・読経の修行を一日に八時間以上しました。

僕は無駄な時間を過ごすことがとても嫌いで、瞑想の正しいやり方や瞑想をやるべき理由を分からずに瞑想を何時間もすることは嫌でした。

幸いこのお寺には、英語・中国語・ロシア語・日本語など様々な言語の仏教に関する本が置いていたので、隙間時間はずっと読書をし、3冊半の本を読むことができました。

その本から学んだ仏教の教えは、とても納得できるものでありながらまさに目から鱗で、僕の考え方を変えてしまいました。

僕の考え方がどう変わったのか、本に書かれていた仏教の教えとは、についてみなさんにシェアしたいと思います。

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これまでの僕の考え

 これまでの僕の考えは、一言で言えば「楽しいと思うことを追求しよう」というものでした。

この考えになるまでには長い道のりがあり、下の記事の「将来への焦り」という項目で簡単にではありますが書いています。

 

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 ここでは僕の考えについてもう少し詳しく書かせてください。

 

高校一年生の頃から、僕の将来の夢は「革命家になること」でした。

世界規模の課題を俺が解決してやるんだ、と息巻いていました。

では革命家になる(世界規模の課題を解決する)には何をすればいいのか、それは誰にもわかりません。

なんせ成し遂げた人は過去には存在しないからです。

僕の高校三年間、そして大学最初の一年間は、その道筋を模索し続けた4年間だったと言えるでしょう。

 

「起業してお金と影響力を持てば世界規模の課題解決に近づくんじゃないか」

と思ったりもしたけど、はっきりとした道筋は見えなくて、悩み考えているだけで何も行動できていない自分にもどかしさを感じていた時、大きく二つのきっかけが訪れました。

 

一つはよんなな学校というイベント。

著名人の講演や積極的に活動している同世代の学生との交流を通して僕が得たメッセージは、後先のことなんか考えずとりあえず行動してみなよ、というもの。

 

もう一つは母親との対話。

無理に自分を犠牲にしようとしないで、自分が楽しむことを考えてみなよ、というメッセージ。

 

悩んでいた時に彗星の如く現れたこの二つのメッセージを、僕はただ合体させただけ。

楽しそうという直感に従って行動しよう、と。

 

この考えは一見、野心とは無縁、むしろ正反対かのように響きます。

ですが想像してみてください。

「革命家になって世界の課題を解決したい」

これがどれだけ野心的な夢かを。

こんな大きな野心があっさり消えるでしょうか。

 

「楽しそうという直感に従って行動しよう」

この考えにはまだ奥があります。

 

それは、自分が満たされていない状態で他人を満たすことはできないということです。

 

シュバイツアーという、アフリカで医師・牧師として尽力した偉人がいます。

彼は「三十歳までは、自分の好きな音楽のために生きることを許してもらいたい。それからのちは、人類への奉仕に身を捧げたい」

と二十一歳の時に決心を固め、全くその通りの人生を全うし、牧師、学者、そして音楽家として活動し、のちにアフリカ医療救済に献身した人物です。

 

彼の生き方はまさに「自分が満たされていない状態で他人を満たすことはできない」という考えを体現しているように感じます。

僕が世界の課題を解決したいと思うのも、どうせ生まれてきたなら世界にいい影響を与えたい、世界の人たちの役に立ちたいという思いからです。

でもそれが義務感になってはいけないと思うのです。

自分が幸せを、満たされていると感じることで、自然と周りに目を向ける余裕ができ、満たしてあげたいと思う。

その自然さが大事なのではないかと思うのです。

 

どういう時に満たされると感じるかは人の価値観によって異なりますから、

人の役に立って感謝された時に幸せを感じるという人は、ものすごく良い循環が生まれますよね。

だから必ずしも、

「シュバイツアーのように、人の役に立つこと以外で自分を満たしてから人助けをするべきだ」

と考えているわけではなく、

「人の役に立つことをしている時には自分も幸せであるべきだ」

という風に考えているということです。

 

僕は論理的に考えすぎるのが嫌いだし苦手でもあるので、過去の偉人をまた参考にしてみます。

例えばスティーブ・ジョブズは、世界の人々の暮らしを改善するにはどうすれば良いか?という問いから逆算的にコンピューター業界に進出したわけではないと思います。

コンピューターが好きで好きで、開発を続けているうちに人々の役に立つ革新的な製品を作れるようになったのだと思うのです。

 

坂本龍馬にも同じようなことが言えます。

坂本龍馬は日本の夜明けに献身的に貢献した人物です。

彼は船がものすごく好きで、海軍操練所(武士に船の操作方法を教える場所)の塾長にもなったし、亀山社中という貿易会社も立ち上げました。

幕府を倒すための方法として、あくまでも船にこだわり続けた人でした。

 

人の役に立つことと、自分の好きなこと・楽しいこと、は密接に関わってくる、これが僕の結論です。

 

つまり何が言いたいかというと、

「楽しいことを追求しよう」と考え方を変えた時に、それまでの野心を捨てたわけではなく、「楽しんだ先に成功がある」と思ったということです。

 

そして実際に楽しいことを求め始めると、僕の行動力はみるみる上がっていきました。

ヒッチハイクをしたり狩りをしたり、高野山にこもったり、オーストラリアにワーホリに行ったり、東南アジアを旅したり、楽しそうなことにはどんどん手を出していきました。

2019年7/31現在は東南アジア一周の途中で、9月には日本に帰る予定です。

帰ってからやりたいことも決まっていました。

「モバイルハウスに住みたい」

旅をしながら暮らす、こんな幸せなことはありません。

大学は休学して、モバイルハウスでバーを開きながら日本一周したり、モバイルハウスで宿泊業を開こう、と。

 

楽しいことを追求していく中で僕が困ったことは、アイデア面ではなく”お金”でした。

前の記事でも書いた通り、↓

 

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 やはり旅をするにはお金が必要だし、帰ってからやりたいモバイルハウスにしても、

免許を取るのに2,30万はいるし、車を買い、改装し、屋根にはソーラーパネルをつけて、など莫大なお金が必要です。

自分に何不自由ないお金があればこんなつまらないことで悩まなくても楽しいことをし続けられるのに、と何度思ったことか。

 

このように、人生の次はお金という悩みに直面していた時に、僕はタイのお寺に修行しにいくことになったのです。

 

仏教の教えとは

 この項では、僕が読んだ三冊半の仏教本のなかで、僕が感銘を受けたものを、文体こそ僕のものですが、内容はできるだけ本にあったまま記していきます。(読んだのが1週間以上前なのであやふやなところがあります)

僕の考え方の変化を説明する際に必要になるし、すごくいいなと思ったので皆さんにも伝えたいからです。

僕の文章力不足や、本の内容がどんどん頭から抜けていっているせいで、説得力に欠けた内容になってしまっている自覚はあります。

帰ったらもう一度同じ本を読み直すつもりです。

その後で、正しくわかりやすくリライトしておきます。

 

・心を鍛える必要性

進化とは、正しく言うならば”変化”であり、必ずしも良くなっているわけではありません。

過酷な環境下に置かれた時に、適応し生き残るために変化するだけです。

これは肉体の話ですが、心はどうかと言うと、良い環境でも悪い環境でも”退化”します。

金持ちの家に生まれ親にも甘やかされ何不自由ない暮らしをしていると心は廃れていきます。

逆に親に虐待される過酷な暮らしでも心は廃れてしまいます。

つまり、何もしないと心は退化する一方なので、意図的に良い方に進化させる必要があります。

 

・仏教の目的

脳には、原始脳(本能)と大脳(理性)があります。人間は他のどの動物よりも脳が発達していると言われますが、それは大脳が発達しているからで、原始脳の知能は他のどの動物とも変わりません。原始脳は獣のままなのです。

原始脳には、存在欲・怯え(怒り)・無知の三つの要素があるだけです。

不幸なのは、原始脳(主)と大脳(従)には主従関係があることです。

例えば、人間は戦争はいけないと頭ではわかっていてもやめることができません。

仏教は、原始脳と大脳の主従関係を逆転させることを目的としています。

そのための手段として瞑想があります。

 

・大脳に支配権を与える方法

大きく4つの方法が書いてありました。

一つ目は、五戒(不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒)の実践です。

五戒は、絶対善でありながら、原始脳の欲求とは正反対な内容です。これを守ることで徐々に、大脳に従うことに慣れていきます。

 

二つ目は、道徳・慈愛の実践です。

これも理由は五戒と全く一緒です。

 

三つ目は、瞑想です。

人間はいつも妄想や雑念に囚われ、今を生きることを忘れてしまいます。

妄想や雑念は原始脳の働きだと仏教は説くので、瞑想で呼吸に集中し雑念をなくすことで、大脳に支配権を与えられるようになります。

 

四つ目は、感情を無くし、感覚で生きることです。

仏教は、感情は強いエネルギーを持ち、人生に悪影響を与えるものだと説きます。

何か事件が起きた時、周りの人が

「まさかあの人がそんなことをするなんて。信じられない。」

というコメントをすることがよくあります。

普段どれだけ理性的な人でも、いっときの感情(特に怒り)を抑えられず暴力に走ってしまいます。

それほど感情というのは強力なのです。

では、感覚で生きるとはどういうことかというと、

雨が降ってきた時は、「雨だ。」と感じるだけで、「雨だ。嫌だな。」とは思わない。

例えばそういうことです。

他のいい例えが本には書いてあったのですが、忘れてしまいました。

つまりは、物事をありのままに見るべき、ということでしょう。

 

・幸せとは

仏教は、こころを重視し、自分の肉体を含む全ての物質にこだわりません。

その理由は、全てのものは無常だからです。

肉体だっていつかは死に滅びますよね。

もちろん、お金にもこだわりません。

人は、最低限の食事をとり、最低限の寝床があり、そして最後に、仕事があれば幸せなんです。

 

今の僕の考え

 今のタイミングで仏教に出会えて良かったなと思う理由は、大きく二つです。

 

一つは、自分の目指す人間像を明確にしてくれたこと。

僕は高校一年生の頃から、自分を成長させようとしてきましたが、どういう人間を目指しているのかがはっきりしたことはありませんでした。

強いて言えば「かっこいい男」になるぞ、とかそんなレベルです。

巷では「成長」という言葉はよく使われていますよね。

このインターンに参加すれば、この困難を乗り越えれば、君は成長できるよ、みたいな。

僕には、世間で言われている「成長」という言葉には、はっきりした基準なんて存在していないように感じられます。

僕も基準なんてない中で、成長しようともがいてきました。答えのない戦いです。

でも、仏教は初めて答えを与えてくれたように感じます。

それは「大脳が原始脳に勝った人間」です。

噛み砕いて言えば、

「慈愛を持って人に接し、雑念や妄想にとらわれることなく今に集中し、感情に振り回されることなく理性で生きている人間」です。

しかもご丁寧に、そのような人間になる方法まで教えてくれています。

 

僕は別に仏教を”信じている”わけではありませんが、せっかく方法とゴールを教えてくれてるんだから試してみよっかなーという感じです。

とりあえず成長、なんてボヤけているより全然いいです。

 

もう一つは、幸せとは、「満たされている状態」とは、本当に小さいことであると教えてくれたことです。

お寺に来るまでは、モバイルハウスで日本を周って楽しみたいのにお金がない、と悩んでいました。

なんて贅沢をしようとしていたのでしょう。

よくよく考えてみれば、家と食事と何かやることがあればそれで幸せだと納得できるのに、僕は「モバイルハウスが欲しい、日本を周りたい」と大きなものを望み、

そして”勝手に”お金がないと悩んでいたのです。

僕の悩みは、僕が生み出したものだったんです。

 

上の段落だけを読むと、僕が「悩みたくなければ質素に生きろ。高望みはするな。」と消極的な、逃げのようなことを書いているように感じられるでしょう。

でもそれは違います。

タイトルにもある通り、僕はもう一度、野心を取り戻したのです。

このことを理解するには、もう少し我慢して読んであげてください。

 

 僕はこの半年間ずっと「楽しい」を追求してきました。

「自分が思う存分楽しめたら、いつか人を楽しませられる日が来るだろう」と信じて。

その想いに従って、今は東南アジアを旅しています。

そして、面白いことに、楽しいことのアイデアってぽんぽん出てくるんですよね。

僕の”楽しいことリスト”はまだまだ尽きることがないのです。(旅をしながら暮らすことが僕の価値観に合うらしく、今のところモバイルハウスしかないですね。笑)

・モバイルハウスでバーを開きながら日本一周

・モバイルハウスで宿泊業を開きながら日本をフラフラ

・モバイルハウスでアメリカ大陸縦断

・モバイルハウスで世界放浪

 

このリスト、実現できればめちゃくちゃ楽しいことは確実です。

でも同時に、めちゃくちゃお金がかかることも事実です。

というかもはや貴族の遊びですよねこれ。

これだけのことを実現できる環境がどれだけ恵まれたことか、ということを僕は忘れていました。

だから僕は、「このリストを実現できれば幸せ、できないならば不幸」という思考になり、お金がない自分を嘆いていたんです。

つまり、楽しいことを求めるうちに、自分の中で「楽しい・幸せ」の基準がグングン上がってしまっていたんです。

でも仏教に触れて、家と食べ物があるだけで幸せやんって思うことができました。

気づけて本当に良かった。

 

そう思って改めて僕の楽しいことリストを見てみると、

めちゃくちゃ独りよがりだなと気づきました。

自分が楽しいだけで社会に何もいい影響を与えないのです。

 別にそれが悪いことだなんて言いません。

でも一項で書いた通り、僕には人の役に立ちたいという野心があり、そのためにまずは自分を満たそうとしてきました。

でも実は最初から僕は満たされていたんだと、今の状態で十分幸せなんだと思えた今、もっとでかい幸せを、、と終わりのない欲望に従うよりも、社会のためになるよう頑張る時なんじゃないかと思うのです。

 

それにこれは自分に強制している訳ではなく、僕が望むことでもあるのです。

 この旅でたくさんの旅人に出会いました。

僕は、旅人こそが一番「楽しい」に素直な人間なんじゃないかと思います。

今日どこへ行くか、何をするか、全てが自由です。

「楽しい」を追求していた僕には、旅人こそがゴールのように映りました。

でも僕は、人生を謳歌している旅人たちに「もったいないなあ」と思ったのでした。

旅人は究極の自由を謳歌しながらも、社会にはなんの影響も与えないのです。

全てが自己完結なのです。

それだけ充実しているなら、他の人にも還元したらいいのに。そう思いました。

確かこのもったいなさを感じたのは6月のバンコクでのこと、お寺に行く前です。

やっぱり僕のこころは、楽しいのその先を見据えているのです。

 

じゃあ結局日本に帰ったら何をするのかというと、全くの白紙になりました。

とりあえず、いらないものは全部捨てて、ミニマリストの生活をします。

 

あとは、ただただ、人の役にたつことをしよう、といういわば”健全な野心”があります。

そして第一項でも述べた通り、それは僕の好きなことと結びつき楽しいものであるべきです。

僕には、これが好き、という物が今のところありませんが、この半年間の旅を通して気づいたことがあります。

それは、友達の大切さ、です。

僕は一人でなんでもできる、とずっと思ってきたので本当に意外でした。

オーストラリアに身一つで乗り込んだ時、孤独を感じ、自分が今までどれだけ周りの友達に支えられていたかを実感しました。

東南アジアを周っている時、友達がいればもっと楽しくなるのに、と感じました。

「仲間と共に一つのことに熱中すること」

それが僕の好きなことであり楽しいことだと思います。

 

ひこと一緒に何かやってみたい(やってあげてもいいよ)、

こんなおもろいことしたいんやけど、一緒にやらん?

みたいなのお待ちしてます。

僕は僕で取り組みたいことを考えておくので。

 

ということで、

今までなんか一人で好き勝手やってた奴が、これからは献身的に活動するし仲間も募集してるらしい。

という文章でした。

 

それでは最後に、宣言しておきます。

 

僕は「革命家」になります。

できるだけ多くの人の役にたつ男になります。

 

ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。

 

続く、

 

ひこ

 

【やばい( ´Д`)】残金9万円になっちゃいました。あと2ヶ月間もつのかな。。

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お久しぶりです、現在タイ北部のヒッピーの町”Pai パーイ”にて10日間以上チルしているひこです!

 

いやー、タイトルからもわかる通りなんですが、旅はあと2ヶ月も続くのに残金がやばい。(ガクブル)

 

この東南アジア一周旅のゴールはインド(もはや東南アジア出ちゃってる)、しかも陸路で行く、と決めているんだけど、お金足りるのかな。

まだタイなんだけど。(笑)

 

にも関わらず、このパーイにはあと4日間いる予定。(笑)

 

いや、なんでやねん! と、

金尽きる前に早よインド向かえよ! と、

そんなツッコミが聞こえてきます。

僕だって、もうパーイは飽きました。早く次の旅に出たい!

でもそれができない事情が、2つ、あるんです。

 

1つは、無免許で、乗ったこともないのに100ccのバイク運転してたらこけて左足に大怪我を負ったこと。(笑)

ひどめの擦り傷が10個ほどできました。

だいぶ治ってきてるけど、重たいバックパックを背負って歩き回るのは厳しい。

 

でも怪我なんか、どうせ治るしどうでもいいんです。

2つめは、もっと重要なこと。

 

同じくタイ北部の町”チェンライ”に可愛いタイ人の女の子「アイス」ちゃんという友達がいて、めちゃくちゃ会いたいのですが、今は旅行中で8/2までチェンライにいないらしいのです。(泣)

もしその子が可愛くなかったら、僕は今頃ミャンマーにいるでしょう。

おっと言い過ぎました。

インドまで早く行きたいという自分の都合か、

一生でもう一度会えるかも分からないタイ人の友達との再会か、

迷うまでもなく友達との再会でしょう!

人情を大事にするやつなのです僕は。

と、どれが本気でどれが冗談なのか分からないような文章を綴りましたが、その線引きは僕と関わる中でみなさんが決めてください。(笑)

 

というわけで、これからの予定としては、

〜8/2 パーイ

8/3〜 チェンライ→ミャンマー→インド→ついに帰国(9月後半)

というのが理想ですが、お金が尽きしだい帰国となりますので、なかなか読めないですね。

お金が尽きるというのはなかなか現実味がありますので、日本の友達たちとの感動の再会も意外と早くなるかもしれません。

 

ということで、誰が興味あんねん!な近況報告を書いてきましたが、それだけではもはやブログという概念に対して申し訳なさを感じてしまうので、僕が計2週間も滞在することになる”パーイ”という町について簡単に紹介することにしますね。

 

冒頭でヒッピーの町と書いたのですが、みなさん「ヒッピー」と言われても、イメージはわかるけど詳しい意味はわからない、という人がほとんだと思います。

僕もそうだったので、調べてみました。

ヒッピーの一部は、インドなど東洋の宗教、哲学に魅力を感じ、反体制思想、左翼思想や自然のなかでの「共同体生活」への回帰を提案した。また時代背景としてサマー・オブ・ラブベトナム反戦運動[1]や、公民権運動[2]、カウンター・カルチャーとしての反抗的なロック、性の解放やフリーセックス、大麻などのドラッグ解禁、男女平等、各種差別の廃止を主張し、よりモダンな社会の実現を目指した。ーwikipedia

僕のヒッピーのイメージは、

「文明社会を嫌い自然に囲まれた場所でレゲエを聴きながらマリファナを吸っている人たち 」だったのですが、アメリカ社会へのカウンターカルチャーとして生まれた経緯もあるようですね。

僕のイメージもあながち間違ってはないような感じです。

 

 じゃあパーイはどれくらいヒッピー感があるんだというと、

・町中で見かける人のドレッドヘア率が体感20%

・裸足で歩く欧米人を毎日1回は見る

・タトゥーショップの数が半端ない

・バーではだいたいBob Marleyの No woman no cryが流れている

・バーや宿でマリファナを吸っている欧米人を普通に見かける

 

はい、ヒッピーですね。

今では旅行者の間でだんだんと知られるようになり、ヒッピー感は薄れてきているようですがそれでもこの状況ですから、10年前とかに来たらドレッドヘア率50%だったのか、とかマリファナだらけだったんだろうか、とか考えると楽しいですね。

 

町にはおしゃれカフェがたくさんあり、個室のコテージも一泊150バーツ(約500円)で借りれるなど、住み心地は抜群です。

バイクでちょっと走れば、洞窟や大自然、さらには温泉もあるという、最高の場所です。

 

日本人にはほとんど知られていないパーイという町で、あと4日間ぼーっと過ごします。

この機会にブログ書きますね。(笑)

 

続く、

 

ひこ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【これからのブログの方向性とゴールドコーストのベトナム料理屋で働いた話】オーストラリアワーホリ体験談⑨

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こんにちは、現在はラオスビエンチャンにいるひこです。

前回は、オーストラリアでの仕事探しについて書きました。↓

 

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 見つかった仕事は、ベトナム料理屋さんでのキッチンハンド。

要は、キッチン内での雑用。

今回は、ベトナム料理屋での仕事について書いてくよ。

ちなみに3週間で飽きて、東南アジア一周の旅に出ちゃった。(笑)

 

最後にこのブログの方向性について語ってるから、そこだけでも見てくれると嬉しいな。

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ベトナム料理屋での日々。

働いていたベトナム料理屋は、

south port という場所の Australian Fair というショッピングモール内のフードコートみたいな場所にあった。

 

そこでの仕事内容は、雑用だからいっぱいあるけど、あえて全部挙げてみる。

 

・焼きたてのパイを冷蔵庫へ入れる

・まんまの形の鶏の肉を最小までほぐす(鶏の体の構造に詳しくなったよ)

パクチーの葉っぱを茎からちぎる

・全ての料理の盛り付け

・牛肉、豚肉を専用の機械でスライス

・食器類の洗い物

・料理を受付まで持っていく

・かまぼこ、肉団子を包丁でカット

・お客さんが残していった食器をキッチンに下げる

・フォーのスープを容器に入れて準備する(作るわけじゃない)

 

まじで多い。

 

一つ一つの作業をキッチンの首領(ドン)であるベトナム人女性から英語で教えてもらう。

 

早々に怪我。海外保険は大事

仕事開始3日目。

この日、初めて肉のカットを任され、専用の機械でスライスしていく。

4種類の肉をスライスしなきゃいけないんだけど、バーベキューポークという、カットするのがめちゃくちゃ難しい曲者がいた。

苦戦しながらもスライスしていると、間違って、ブンブン回転している鋭利な刃に親指を突っ込んでしまった。

 

ちょっと触れたぐらいだったから全然痛くなかった。

でも確実に出血はしてる、はず。。

なんでわからないかというと、バーベキューポークという曲者、真っ赤な汁に漬け込んだ豚肉だから、元から俺の手は真っ赤。(笑)

 

たぶんこの時のバーベキューポークには俺の血がついてる。(笑)

おおごとにしたくなかったから、そっと離れて手を洗い傷を確認してみる。

すると血が止まらない止まらない。

悪戦苦闘していると、ドンにバレてしまい、めちゃくちゃおおごとになった。

ドンはこの機械の恐ろしさを理解しているらしく(新入りに任すな)、めちゃくちゃ騒ぎながら真剣に包帯を巻いて手当してくれる。

傷は思ったより深く、なんと親指の右上部分がぽっかり欠けていた

 

その日は早めに帰され、次の日出勤したが、まだ血が止まっていなかったらしく(なんで生きてたんだろう)、仕事中に包帯を押しのけて血が垂れてきたから病院に行った。

日本語対応の病院を見つけたから、そこでクレジットカードの付帯保険を使ってキャッシュレスで対応してもらう。

 

手術が必要とか一生麻痺が残るとか言われたけど、結局は自然治癒力で治して感覚もちゃんと残ったよ。

めでたしめでたし。

 

海外保険なんかいらないやと思って契約せずにきたけど、たまたまクレジットカードに保険が付帯していて本当に助かった。

2週間ほど病院に通って色々な手当をされたけど、全部タダで受けれたから。

 

海外保険は大切。(実感)

 

めちゃくそ忙しい。

このお店、人気店らしくめちゃくちゃ忙しい。

ドンが作る料理の盛り付けを全て1人でやって受付まで運ばなきゃいけない。

それに、

ビーフフォーにはもやしとパクチー

ラクサにはもやしとキャベツとパクチー

とか料理ごとに盛り付け方が違って暗記しなきゃいけないから、最初はあたふたでドンに怒鳴られる。

 

最後の方には条件反射で盛り付けれるくらいになったけど(笑)、

それでもギリギリなくらいの注文量だったから恐ろしい。

 

ちなみに俺は今ベトナムにいて、本場のフォーを一杯100円で食べれるんだけど、ここのフォーは一杯1000円だった。

やばいね。

 

オーストラリアの最低時給は約1500円くらいなんだけど、ここは時給1200円と違法なとこだったから給料は手渡しで支払われた。

いわゆる、キャッシュジョブ。

 

ほとんど毎日、1日6~8時間働いたけど、オーストラリアを離れる時までに稼げたのはたったの8万円。

お金の重みを感じる。

 

俺の決意。

ゴールドコーストでの経験もあるし、東南アジア一周中の経験からも、

俺は決めた。

もうこれからは人の元で働かない。

日本に帰ったら、自分でビジネスをする。

内容はうっすらは決めてるけど、海外にいるから動き出せないし、まだ発表しない。

 

ビジネス、言い換えれば、挑戦。

この挑戦の過程は全て、このブログで公開するつもり。

何か大きなプロジェクトって成功したら話題になるけど、その過程が現在進行系で詳しく発信されることってほとんどないなって思う。

何か大きなことをしたいと思っても、どう動き出したらいいか分からず動けずじまいな人って、いっぱいいるんじゃないかな。

 

実際、俺も今まで大きなことを成し遂げたことはない。

それでも、2019年の9月から、日本でもがくつもりをしてる。

成功しても失敗しても、その過程を全て公開することは、何か動き出したい人にとって価値があるんじゃないかって思う。

9月からは、現在進行形の挑戦の過程を公開するブログになると思う。

楽しみにしてくれたら嬉しいな。

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ゴールドコーストでの日常を書くのがめんどくさくなっちゃったから、次回から

「東南アジア一周編」を書く!かな、、

 

日本に帰ってからのブログの方向性は決まってるんだけど、

旅中の記事の方向性を考えているから、

東南アジア編がいい!とか、自分の考えを発信してほしい!とか、こんな記事を書いて欲しい!

っていう要望があれば、ぜひtwitterで伝えて欲しい!!参考にしたい!

 

続く、

 

ひこ

【オーストラリアでの仕事探しはナンパに通じるものがある】オーストラリアワーホリ体験談⑧

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前回のあらすじ

ゴールドコーストで家を見つけた。

なんと、ジム・プール付きのマンション5階で月4万!

(詳しくはこちら↓)

 

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 今回は、仕事探しに本腰を入れるお話。

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オーストラリアでの仕事の探し方

オーストラリアで仕事を探すには、基本的に

「お店を訪ねて直接レジュメ(履歴書)を渡す」

という方法をとる。

 

gumtreeというサイトには求人が掲載されていて、もちろんここでもレジュメを送るのだけど、大体は返事がこない。

(ジャパニーズレストランは別。日豪プレスを通してメールを送れば高確率で返信が来る。

俺は英語環境の仕事がよかったから、ジャパレスには手を出さなかった。)

 

「ネットだとレジュメに目を通して選別した後、面接のアポをして、、、

と面倒だけど、直接きてくれるとその場で人柄が見れるし、即日でトライアルもできるから、店にとって都合がいい」らしい。

それに、オーストラリアではコネが強いから、求人を出さずに従業員の友達を紹介してもらうことも多い。

 

まあ単純に、オーストラリアには世界中から仕事を求めて労働者がやってくるから、わざわざ求人を出さなくてもあっちからやってくる。

日本なんかはどこもかしこも労働者不足だから、どれだけ仕事を得やすいかっていうことが実感できた。

 

長くなったけど、オーストラリアではネットではほぼ仕事は見つからないから足で探さなきゃいけない。

というわけで俺は、家が見つかった翌日から、足で仕事探しを始めた。

 

まずはレジュメを作成。

俺のレジュメはこんなの。↓

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カフェかレストランでウェイターとして働きたかったから、それに特化したレジュメにしてある。

仕事探し初日は、近所のコピー屋さんでとりあえず10部印刷。

 

出来るだけ家の近所で働きたかったから、surfers paradiseにあるカフェ、レストランを狙う。

 

最初はめっちゃ緊張する

印刷したレジュメ10枚をカバンに入れて、1軒目のカフェに到着。

目の前のベンチに座って、いうべきセリフを確認する。

 

第一声は、

「Hello, how are you? I'm looking for a job. Are you hiring now?」

(こんにちは、仕事を探してるんですけど、今は雇っていますか?」)

 

マネージャーがいれば呼んできてくれるし、いなければレジュメを預かってくれる。

 

マネージャーがきてからのセリフも暗記して、いざ行こうとするけれど、足が動かない

だって、普通のお客さんが注文するカウンターに並んで、店員に話かけなきゃいけなから。

日本じゃあり得ない。

 

10分くらいベンチでモジモジしてから、一旦その店のまえを立ち去る。(笑)

なんか自分が情けなくなった。

 

次のカフェは誰もいなかったから、意を決して店員さんに話しかける。

すると、

「ごめん今は雇ってないんだ」

と言われ撃沈。

レジュメさえ受け取ってもらえなかった。

 

でも話しかけることはできた。進歩だ。

この感覚を忘れないように、すぐに次のカフェに行き話しかける。

すると、

「ごめんうちは今雇ってないんだけど、向かいのカフェは人を探してるって聞いたわよ。頑張って!」

と言われた。

優しい😭

 

ということで向かいのカフェに行き、店員に話しかけると、

「うん、雇ってるよ。ちょっと待ってて、マネージャー呼んでくるよ」

 

そう言ってマネージャーを呼んできてくれた。

レジュメを渡し、簡単な質問に答え、その店を後にする。

 

そのあとも何軒かまわり結局5枚ほどレジュメを配ることができたけど、連絡が来ることはなかった。

 

2日目。撃沈の日。

仕事探し2日目。

 

昨日掴んだ感覚も、寝てる間に失っちゃったよう。

朝からまたモジモジする。

でも配り始めるまでの間隔は昨日より短くなった。

 

1日かけて、surfers paradiseにあるカフェ、レストランはほとんど回りきった。

それでも、配れたレジュメは

たったの5枚。

 

ほとんどのお店は受け取ってくれなかった。

surfers paradiseはゴールドコーストの中心地で競争相手も多いし、何より5月はこれから閑散期に入る時期。(冬になるから)

 

俺はsurfes paradiseに見切りをつけ、surfers paradise の下のbroad beachを狙うことにした。

 

3日目。これナンパじゃん。ってなる。

仕事探し3日目。

 

朝早くに起きて、路面電車のトラムに乗り、終点のbroad beach south駅まで行く。

ここから家まで直線距離にして約4km。

この間にあるカフェ、レストランを全て訪ねながら家まで徒歩で帰るという計画を立てていた。

 

3日目になるともう慣れた。

店を見つけては声をかけ、を繰り返す。

 

この日だけで50軒以上は声をかけただろうか。

受け取ってもらえたレジュメは12枚。

 

この日悟ったことがある。

仕事探しの第一声

「こんにちは、仕事を探してるんですけど、今は雇っていますか?」

 

ちょこっと変えると

こんばんは、一緒に飲む女の子を探してるんだけど、今夜暇?

 

話しかけるときの緊張感といい、セリフといい、ナンパと一緒だ。。

 

この日、無性に日本に帰ってナンパがしたくなった。

たぶんナンパ上手くなったから、ナンパのお仕事ください。

ナンパが上手くなりたい人は、オーストラリアにワーホリしにきたらいいよ。

 

この日はたぶん10km以上歩いてヘトヘトになったけど、結局この日も連絡が来ることはなかった。

 

4日目。ついに合格!ベトナム料理レストラン!

仕事探し4日目。

 

今日はsurfers paradiseの北、south portへ

レジュメを配りに行く。

 

昨日と同じように、トラムでsouth port駅へ行き、家まで歩きながら手当たり次第配る。

 

結局この日も50軒ほど声をかけ、10枚のレジュメを受け取ってもらえた。

それでも連絡は来なかった。

 

次の日の朝、

「今日はどうしよう。。またbroadbeach行くか」なんて、

朝ごはんを食べながら考えていると、一通の電話が。

 

「昨日レジュメを頂いた〇〇です。今日の10時からトライアルにきていただくことはできますか?(日本語)」

 

「はい、もちろん、いけます!」

 

 

こうして、急に仕事が決まった。

あと2時間もなかったから、急いで用意して職場に向かう。

 

そこはベトナム料理屋で、ベトナム人、欧米人、日本人が混じった多国籍な職場。

俺はキッチンハンドとして働くことになった。料理経験なしなのに。。

 

というわけで、オーストラリアでの仕事探しの話はおしまい。

配ったレジュメ:30枚

訪ねたお店:100軒以上

日数:4日間

 

最初はめちゃくちゃしんどかったけど(肉体的にも精神的にも)、途中からなんか楽しくなってきた、そんな仕事探し。

 

次は、オーストラリアのベトナム料理屋で働いた話だよ。

 

続く、

 

ひこ

【月4万でジム・プール付き高層マンション!?オーストラリアで家探し】オーストラリアワーホリ体験談➆

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前回のあらすじ

3週間滞在したカナナラを離れ、海を求めてゴールドコーストにやって来た。

(詳しくはこちら↓)

 

www.hikolog.com

今回は、家探し!

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インスペクションをする。

ゴールドコーストに到着した日は、1泊2000円ほどのバックパッカーに泊まった。

リアルタイムでは東南アジアを旅していて、一泊300円〜500円ほどで泊まれているから、先進国は本当に物価が高い。

 

背水の陣を敷いてバックパッカーは1泊しかとってないから、1日で家を見つけなくちゃいけない。(今思えばこんなに焦らず、当分の間はバッパー暮らしで良かった。泣)

オーストラリアで家を決めるまでの流れは下記のようになる。

 

・webサイトで良さげな物件を何個かリストアップ

 

・オーナーにメッセージを送り、インスペクション(家の見学)のアポイントをとる

 

・インスペを終え気に入ったら契約をする

 

物件を探すwebサイトはいくつかあるけど、

外国人と一緒に住みたいなら”gumtree"

日本人と住むのでいいよって人は”日豪プレス”

を使うことになると思う。

俺は、外国人と住みたかったからgumtreeを使って探したけど、家賃が高くて内装もいまいちな物件しか出てこなかった。(時期が悪かったのかな。。)

それで仕方なく日豪プレスを使って物件を絞り込んだ。

日豪プレスには、家賃が安く内装も綺麗な物件が多かった。

 

家賃や条件はあらかたwebサイトに載っているから、

インスペでは、その部屋の実際の雰囲気、綺麗さ、他の住人について、光熱費などは家賃に含まれるか、

など細かいところを見て聞いていく。

 

俺の場合は二つの物件に絞っていたから、昼に一軒、夜に一軒、インスペのアポイントはとってある。

 

1軒目:退廃的な家

昼にインスペに行った家は、ブロードビーチにあった。

ブロードビーチは、ゴールドコーストの中心地であるサーファーズパラダイスの南に位置し、中心部からは少し離れている場所。

約束した時間に家の前で待っていると、長髪の日本人の方が現れた。

この方がオーナーらしい。

中を見学させてもらうと、生活感満載(ちょっと汚い)で、シーシャやタバコの吸い殻が置いてある。

今は、このオーナーさんと2人の外国人の三人で住んでいるらしいのだけど、この2人の外国人がカップルらしいのがマイナスポイント。。

気まずいもん。

 

この家でも全然良かったけど、次には本命のインスペが控えていたから、返事は待ってもらった。

何しろ次の本命の家は、高層マンションの11階でジム・プール付き、それなのに家賃は月4万という代物。

う、うまい話すぎる、!

 

過度に期待しないよう気をつけながら、次の家へと向かった。

2軒目:大本命、高層マンション

二軒目の部屋は、ゴールドコーストの中心部であるサーファーズパラダイスに位置している。

オーナーは、みやぞんに激似の中国人。

 

早速部屋に連れて行ってもらうと、、

いや2階やん!

いきなりの拍子抜けだけど、ちゃんとジム・プールは付いている。

 

この部屋には現在6人が住んでいて、そのうちの1人が2週間後に出て行くから、入れ替わりで俺が入居するということらしい。

じゃあそれまではどうすればいいんだという話になると、代わりの部屋を用意するという。

 

そうして連れて行かれたのは、

また別のマンションの5階。

いや、11階はどこいってん!

しかもこのマンション、地下・1階・2階の3フロアにSHOOTERSという老舗ナイトクラブが入っている。

パリピマンションやん!(実際はそんなことありませんでした)

俺はパリピに縁があるのかな、それともオーストラリアはパリピの国なのかな。

(下記参照↓)

 

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入居していたのは俺を除いて5人で、平均年齢は20代前半と若め。

このマンションにもちゃんとジム・プールが付いていて、家賃は月4万!

 

サイトの情報とちょくちょく違うし、オーナーもクセのある人物だったけど、

部屋はある程度綺麗だし、こんないい条件の物件はなかなかないから、ここに住むことを即決した。

 

そして早速この日から、ジム・プール付きマンション5階での暮らしが始まった、!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

どうでしたでしょうか。

 

オーストラリアの家探し。

シェアハウスが一般的で、即日入居もできてスピーディなところが、日本と違って面白いですよね。

 

しかも、この記事では家賃を月単位で書いていますが、オーストラリアでは家賃も給料も週払いです。

 

俺は、到着した翌日に家を決めちゃったけど、バッパーの方が友達を作りやすいので、最初はバッパーに滞在していた方がいいと思います。

俺はその点で後悔したので。

 

そして次回は、最大の難関、仕事探し!!

本当にしんどかったなあ。。

 

続く、

 

ひこ

 

 

【番外編:世界は広い】カナナラで出会った世界の友人たちを紹介します!

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こんにちは、オーストラリアのカナナラという辺境に、大勢の欧米人とともに滞在していたひこです!

今回の記事では、カナナラで出会い仲良くなったバックパッカーたちを紹介していきます!

外国らしいエピソードが盛りだくさんです。

(カナナラ編の第1話はこちらから↓)

 

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フランス

カナナラでは、フランス人の集団とつるむことがほとんどだった。

フランス人たちは英語のレベルが俺と同じくらいだったし、何よりみんな愉快な人たちだったから。

アレクシー

俺の親友。ダーウィンからカナナラに向かうバスで知り合い、その日は共にガソリンスタンドで夜を明かし、バッパーでは相部屋になった。

フランスでは山でマラソンをしており、将来はコーチになって子供に教えたいという。

カナナラでもトレーニングを欠かさず、毎日Kelly's Knobという山を走っていた。

(俺も一緒に毎日走らされた。)

ニュージーランドで1年のワーホリを経験しているワーホリ熟練者だ。

 

マクシム

小太りでメガネをかけており、見た目の年齢は25歳だが実年齢は20歳という男。

車を買いオーストラリアを旅するためにカナナラに来ている。

テニス経験者なこともあって卓球が上手く負けっぱなしだったけど、カナナラを発つ前日にボコボコにしてやった。

練習の成果だ。

カナナラにも売人がいるらしく、みどりを買って吸っていた。(笑)

レミー

カーリーヘアでいかつい見た目をしているが、気が弱くめちゃくちゃ優しい男。

日本語を勉強したいと言ってきたので、日本語を教えていた。

青春時代には、Young, wilg and freeという歌を聴きながらずっとみどりを吸っていたらしく、その時のことを忘れないように、右手には”Young wild and free"というタトゥーが入っている。

 

レオ

女性を愛するという感情がわからないと言っていたイケメンな男。

(チャラいという意味ではなく真剣に悩んでいた。)

卓球で、フランス国内でベスト100に入ったという猛者。

 

ゴンザーク

俺がカナナラに来た1週間後くらいにカナナラに来た。

フランスの田舎出身であまり英語が話せないが、地元で銃を撃ったり無免許で車を乗り回したエピソードを話してくれた。

 

カナダ

ウッキ

ゴンザークとほぼ同時期にカナナラに来た28歳の頼れる男。

カナダで農業関係の企業に勤めていたが、辞めてオーストラリアにワーホリしに来た。

フランス人たちと俺とよくつるんでいて、リーダー的な存在だった。

カナナラの前はメルボルンバーテンダーとして働いていたらしく、会話が上手かった。

カナダではみどりが合法なので、何度も経験があるらしく、みどりが大好きで、それについて語り出すと止まらない。

近い将来、みどり合法化の波が来るはずだから、その業界で働きたい、それが俺の天職だと熱く語っていた。

 

オランダ

ミシェル

高身長でスタイル抜群な美女。

運動が好きで、アレクシーと俺と一緒に山を走ったりしていた。

オーストラリアの前はバックパッカーとして旅をしており、ペルーに3ヶ月住んだりしていたらしい。

アレクシーは、ミシェルのことが好きだったように思う。(笑)

確認できてないけど。

 

ルーベン

金髪のロン毛で高身長、しかも毎日鍛えていてムキムキという、男から見ても惚れそうなイケメン。

1ヶ月半ほどかけて、ノルウェーを野宿しながら歩いて縦断したらしい。

それは完全なる自分との対話で、そのお陰なのか、ものすごく穏やかで優しい。

ウッキが、神に出会った気がする、と言っていた。

 

中国

ホン

日本のアニメが好きで、ちょっとだけ日本語が話せる男。

よく日本語で話しかけてくれた。

口癖は「あー暇だ。ほんっとうにつまらない」

そんなに暇ならなんかやれ!とずっと思っていた。(笑)

ドイツ

オリバー・エレン

2人とはクロコダイルを見るためにドライブをした。(下記参照↓)

 

 

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ダニエル➀

大柄で気さくな男。

ある日の飲み会で酔っ払って、女の子を背負い投げしてしまう。

その翌日からは完全に干されていた。

人間関係って怖い。。

 

ダニエル②

ドレッドヘアの小柄な男。

ヨットの選手らしく、コーチングライセンスを取るために、ガーナに留学に行くらしい。

いつも隙間時間には、パソコンで株の勉強をしていた真面目なやつ。

 

 

紹介はこんな感じ!

まだまだいるけど、そんなに深く話せてないから書けない😭

 

海外のバックパッカーは、女性も多いのが特徴的。

日本では女性が海外を1人旅するのはとても珍しいけど、海外では普通なんだよね。

たくましい女性が多い印象🤔

 

以上、番外編でした!

次は、オーストラリアでの家探しの話!

 

続く、

 

ひこ

 

【カナナラに飽きたのでゴールドコーストに移住します!】オーストラリアワーホリ体験談⑦

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こんにちは、ひこです!

実は、ホーチミンからハノイまで約1700kmの「ベトナム縦断ヒッチハイク」に挑戦しよう!と思っていたのですが、そのことを泊まっていた宿のオーナーさんに伝えると、

「お金を持っているのに、お金を持っていない人達にすがるような行為をするのはどうなんだろう。バスに乗りなよ。」

と諭されてしまいました。

もちろん、そのような意見があるのは承知しています。

インドでヒッチハイクをした旅人に対し同じような批判がなされているのを聞いたことがありましたから。

でもそれは承知の上で、地元の人達ともっと関わり合える濃い旅がしたい!お金の問題じゃないんです!

 

まあオーナーさんとそんな議論をしたところでしょうがないので、大人しくバスのチケットを買いました。ビーチリゾート「ニャチャン」まで。1人で行ってきます。(笑)

 

でも僕はまだ諦めてません!ニャチャンからはヒッチハイクしてやります!(笑)

ヒッチハイクの過程はtwitterを通して発信していきます。(たぶん)

成功したらブログにも書きますよー。

 

では長くなりましたが、ゴールドコースト編スタートです!

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

前回のあらすじ

カナナラで、国際結婚を控えているというプロバックパッカーなおさんと出会う。

その人と会話する中で、ゴールドコーストへ移住することを決意する。

(詳しくはこちら↓)

 

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空港まで地獄の行進

ついにカナナラを出発する日がやってきた。

カナナラには一応空港がある。朝早い便で発つからこの日は早朝に起床し、徒歩で空港へと向かう。

カナナラバックパッカーズから空港までは 約5km。

バックパックは重いし、めちゃくちゃ暑いしで、キツい。

 

一番鬱陶しいのは、蝿。

常に2,3匹は顔の周りを飛び回ってるし、背負ってるバックパックには大量の蝿がくっついてるっぽい。

試しにバックパックを振ってみると10匹以上の蝿が飛んでった。

 

俺の前をおばさん三人が並んで歩いている。

みんなの背中がまっくろだったから、なんでだろうと思ってよく見てみると、蝿だった。(気持ち悪い話をしてごめんなさい)

熱帯だから蝿が繁殖しやすいのだろう。

 

俺は寒いところより暑いところが好き。だって半袖半パンで過ごせて楽だから。

でも初めて熱帯の地域に来て、寒いところの方が好きになった。

理由はもちろん、蝿。(笑)

 

帰ってきたdarwinパリピ宿

カナナラからはダーウィン経由でゴールドコーストへと飛ぶ。

安い航空券を選んだから、ダーウィンでの待ち時間が長くて一泊することになった。

選んだ宿はダーウィンで1番安い、であろうYHA。

そう、帰ってきました、パリピ宿。

(詳しくはこちら↓)

 

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 前回は、空港から20$払ってシャトルバスで行ったんだけど、

今回はローカルバスで行くことにする。

バス停の場所が分からなくて歩き回り、アボリジニのおっさんに絡まれたりしてはや1時間、ようやくバス停を見つけ目当てのバスに乗り込む。

確かにめちゃくちゃ安いけど、その分は苦労した。

 

そしてそして、懐かしのYHAホステルに到着。

チェックインを済ませた後は、晩御飯を食べることにする。

前回来たのは4/10。

大学初めての海外、人生初めての安宿とあって、右も左も分からず、ご飯は全て高級なところに行ってしまっていた。

でも今は違う。

カナナラで3週間過ごし、成長したんだ。

オーストラリアで外食するのは負け、自炊すれば食費は1/3にも1/4にもなる。

徒歩1分のスーパーcolesに行き食材を調達し、サンドイッチを作る。

 

二階のプール&バーでは相変わらずたくさんの若者が飲んでおり、前回来た時に相部屋だった男たちを見つけた。

そんなに仲良くなったわけじゃないし、明日は4時には起きて空港に行かなきゃいけないから、バレないようにそそくさと部屋に戻り寝た。

 

ゴールドコースト到着

ダーウィンを早朝に出発し、昼頃ついにゴールドコーストに到着!

 

空港からは路線バスと路面電車を乗り継ぎ、中心地であるsurfers paradiseへ。

今日はここに宿を1泊だけとってある。

1日で家探しにカタをつけて、シェアハウスに住もうという算段だ。

 

オーストラリアではシェアハウスが一般的で、webサイトではたくさんのオーナーが募集を出している。

Gumtree(ローカル向け)と日豪プレス(日本人向け)の二つのサイトを使って、

あらかじめめぼしい家は何個かリストアップしていた。

外国人と一緒に住みたかったけど、安くていい物件が日豪プレスにしかなかったから、日本人と住むことになりそうだ。

 

次回、オーストラリアでの家探し編。

続く、

 

ひこ

 

 

【初日本人!カナナラで国際結婚するプロバックパッカーに出会った】オーストラリアワーホリ体験談➅

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こんにちは、ひこです!

今回は、カナナラで初めて日本人に出会った話です!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

日本人が来た。

いつも通りのんびりしたある日の午後、バッパーですれ違った友達が

「ひこ、日本人が来てるぜ!」

と言ってきた。

それくらい日本人は珍しいってこと。なんせ泊まってる日本人は俺だけだから。

 

結構ホームシック気味だったから話してみたいなと思ったけど、今は出かけてるっぽい。

まあ後でいいやと思っていると、夜になった。

 

アレクシーと卓球をした後、ベンチで休んでると、アレクシーが近寄ってきて

「ひこ、日本人の女性が来てるの知ってるかい?」と言ってきた。

 

「ああ、さっき聞いたよ。」

 

「今そこで晩御飯食べてるから話しかけてきなよ(ニヤニヤ)」

 

相手が女性だからだろう、アレクシーはめっちゃニヤニヤしている。

めんどくせえ、、。

俺は、「あいつのこと好きなんじゃないの?」などといじられると、本当に好きでも好きじゃなくても、「違うわい!」と反発してその子とは全く話さなくなってしまうタイプだから(誰か理解してほしい)、この時も

「いや、いいよ」

と断ってしまった。

 

そしたらアレクシーは、近くにいたイタリア人女性のレベッカ

「ひこが日本人の女性と話したがってるのに恥ずかしがってるんだ」

なんて言い出して、2人から

「話しかけに行かないの?(ニヤニヤ)」

と責められる始末。

うざすぎて拒んでいると、アレクシーが「ひこは度胸がないな」

と一言。

そんなこと言われて黙ってるわけにはいかない(単純)。

「よし、行ってやろうじゃないの!」

そう言ってその人の元へ向かった。

 

 

プロバックパッカーだった。

こんばんは〜、と声を掛けて自己紹介をする。

この方のお名前はなおさん。

話を聞いてみると、世界一周経験者で、現在はオーストラリアでワーホリ中とのこと。

なんと、もうすぐ結婚式が控えているらしい。

しかも、国際結婚!

どこで出会ったのか聞いてみると、スペインのサンチャゴ=デ=コンポステラへ向かう巡礼の道で出会った相手だという。。

 

サンチャゴ=デ=コンポステラとは、エルサレムバチカンと並ぶキリスト教の三大巡礼地の1つで、スペインの北西部に位置している。

俺は、パウロコエーリョという作家の『星の巡礼』という小説を読んだことがある。

この本はサンチャゴ=デ=コンポステラへ巡礼をする小説で、これを読んだ時からずっと、

この道を歩きたい!と思っていた。

だから、実際に歩いた人に出会えてすごく興奮した。

詳しく聞いてみると、

巡礼の道には一定間隔で宿屋があり、巡礼者が安く泊まれるようになっている。

人が歩く速さはほとんど変わらないから、同じ人と何度も顔を合わせたり同じ宿になったりする。

だから友達ができることも多いとのこと。

なおさんの場合、ある男性と顔見知りになり、目的地のサンチャゴ=デ=コンポステラに着いた時に、彼に話しかけられたという。

そこで仲良くなり、一緒に南米を旅している間に付き合うことになった。

 

「他にも何組か巡礼のつながりで付き合ってる人を知ってるし、巡礼の道を歩いたら出会いがあるかもしれないよ」

と笑いながら言われ、

(うん、これは行くしかない!)という感じ。

皆さんも、出会いがない!と悩んでいる方は、サンチャゴ=デ=コンポステラへの巡礼の道を歩いてみてはどうだろうか(適当)。

なおさんは、来年の春に夫婦でもう一度巡礼の道を歩くらしく、またそこで会おうよと誘われた。

はい、歩きます!と約束したけど、守れるかは分からない。(笑)

 

 

移住を決意。

実は、なおさんとお会いする前から、カナナラを出てゴールドコーストに移住しようかと悩んでいた。

仕事が見つかる気配は相変わらず無いし、海が恋しくなってきたから。

せっかくオーストラリアまで来たんだからサーフィン上手くなって帰りたい!(結局1回もサーフィンせずに東南アジア行っちゃった)

この間も、俺以外の唯一のアジア人だった中国人のホンがケアンズへ旅立った。

 

その悩みをなおさんに話しているうちに、自分の中で決心が固まってきた。

「〜な感じでゴールドコーストに移住しようかと悩んでるんですよねー。あ、でも決めました。ここ出ます!」

みたいな自己完結をしてしまった。

訳わからんすぎる。(笑)

 

なおさんはこれから違う場所に移動するので、ここには一泊だけ。

結局この日は2時間以上話し込んでしまった。

なおさんと話し終わった後、早速ゴールドコースト行きのチケットを購入した。

新しい冒険が始まるぞ!ワクワク。

 

次回、ゴールドコースト移住編。

 

続く、

ひこ

 

 

 

【山の頂上で寝てみたい】オーストラリアワーホリ体験談➄

こんにちは、ただ今ベトナムホーチミンにいるひこです!

プノンペンでお腹を壊し寝込んでおり、その後もホーチミンへの移動でバタバタしていたため、久しぶりの更新となってしまいました。

 

プノンペンで相部屋になった友人が実はゲイで、寝込んでいる間に股間を触られるという悲しい事件など、この数日間も色々なことが起こりました。。

また東南アジア一周編で詳しく、、

 

書きたくないなあ(^ω^)

 

今回もカナナラ編となります!

ーーーーーーーーーーーーーー

 

山の頂上で寝てみたい

オーストラリアの北部、熱帯の地域に位置する自然豊かなカナナラ。

 

そこにファームジョブを求めてやってきたものの、まだ収穫のシーズンは来ておらず仕事はない。

 

 だから毎日、近くのKelly's knobという山を走り回ったり、卓球をしたり、筋トレをしている。

Kelly's Knobを走り回っていて思ったことがある。

 

「…頂上で寝てみたい。」

 

だって、絶対綺麗な星空が見れるし、何より朝日と共に目覚めるなんて最高だ。

思い立ったその日の夜、早速頂上で寝てみることにした。

 

あんまり早くに行っても仕方がないから、とりあえず夜10時くらいまではパーティに参加する。

 

酒の席で

「今日Kelly's Knob の頂上で寝ようと思うんだけど、誰か一緒に行かない?」

って誘ってみた。

でもみんな、

「なに冗談言ってんだよ」

みたいに言って全然相手にしてくれない。

それでも「really!」って言い続けてたら

「You are crazy」

と口々に言われた。

 

Kununurraとかいうど田舎に集結した世界のcrazy達に認められし、世界一のcrazyになってしまった。(笑)

 

結局誰も来てくれないから、俺1人で懐中電灯を持って行くことになった。

 

いざ実行

夜10時頃、懐中電灯を持って1人でバッパーを出発する。

山道には当然ながら街灯なんてない。

だから懐中電灯を持ってきたわけだけど、月明かりのおかげで懐中電灯は一回も使わなかった。

都会にずっと住んでると気付かないこと。

月明かりはすごいんです。

 

月明かりのみを頼りに、欧米人が流してるのを聞いてハマってしまったアメリカのロックバンドRed Hot Chili Peppersを大音量で流しながら(怖いから)、頂上を目指す。

 

登ってる途中に気づいたことがある。

月が明る過ぎて星があんまり見えない。。

 

頂上いけばもうちょっと見えるようになるんじゃないか、、

そんな希望を抱きながら、ついに頂上到着!

 

…うん、あんまり見えない!

もちろん、日本にいる時よりは格段に多いし綺麗。

でも、満点の星空を期待してただけにちょっとがっかり。

 

まあ気を取り直して今日の寝床を探す。

いい写真がなくて残念だけど、頂上はこんな感じ↓

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そこらじゅうゴツゴツしてて寝れる場所なんてない、ように思える。

でも俺には、一箇所だけ寝れるポイントが見えた。

ここしかない、ここが俺を呼んでいる!

 

そこら中ゴツゴツしてるなかで、ここだけは平らになっている。

早速寝てみた。

そりゃもちろん、岩だから硬いけど、寝心地は悪くない。

見てわかる通り、頂上には柵なんてないから、寝相が悪ければ死ぬ可能性もざらにある。

 

「明日目覚めることはないかもしれない」

そんな覚悟を決めて寝転び続ける。

でも予想外の問題が、、

 

問題1:寒い。

適当に頂上まできたから、

服装は半袖半パン。

熱帯だから寒いことないだろうと思ってこの服装で来たんだけど、実際のところ気温はちょうどいいくらいだった。

でも予想外なことに、風がすごい。ビュンビュン吹いてる。

 

問題2:蚊がすごい。

寝てたら耳元で絶えず「ぷ〜〜ん」って音が聞こえてくる。

しかも足とか手がめっちゃ痒くなってきた。

 

結果

こんな二つの苦難に絶えながら、朝日と共に起きる、ただそのために寝転び続けた。

それでも容赦無く風が吹きつけ、蚊が体を刺しまくり、全然寝付けない。

そして、ついに午前2時頃、、、

下山した( ^ω^ )

 

次の日に足見たら、悲惨なことになってましたとさ。

 

もし山の頂上で寝たい人がいたら、

長袖長ズボンで行こう!

 

正直、それだけで解決できる問題だったね!適当すぎた( ^ω^ )

 

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ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

 

次回は、カナナラで初めての日本人に出会った話。

 

続く、

ひこ 

 

 

 

 

 

 

【クロコダイルのいる川で泳いじゃいました】オーストラリアワーホリ体験談➃

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前回のあらすじ

カナナラでの最高にストレスフリーな生活を紹介。

山を走り回って、卓球して、筋トレして、めちゃくちゃトレーニングしてたよ。

詳しくはこちらから↓

 

 

www.hikolog.com

 

今回からは、カナナラで起きた珍しい出来事を書いてくよ。

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クロコダイル見学へ

いつもと変わらず、kelly’s knobを走り回り、宿に帰ったら卓球をし、ベンチでウトウトしていると、

ドイツ人の友達のオリバーが、

「ひこ、ドライブに行かないか」

って誘ってきた。

どうせ暇だし、行こう行こう!つって、

同じくドイツ人のヘレンと3人でドライブに。

ヘレンのでっかい車に乗り込み出発!

「何しに行くの?」

って聞いてみると、クロコダイル見に行くって。

 

カナナラの川にはクロコダイルがうようよいるらしいから、泳げへんやん〜って思ってたけど、

逆に言えばクロコダイル見れるんやん!という喜び。

 

車で10分程走って、大きな橋の上まで来た。

そこに車を止めて川を眺める。

3人で石を投げ込んだりして、クロコダイル探し。

全然見つからないな〜って思ってると、

近くに立ってた交通整備のおっちゃんが近寄ってきた。

「お前ら何してんの?」

 

エレン「クロコダイル探してます!」

おっちゃん「あいつらは夜の方が見つけやすいぜ。どうしても見たいならスポット変えた方がいい。」

 

なんて会話をしたらしい。おっちゃんのなまり強すぎて全く分からなかった😭

 

じゃあ違うとこ移動しようかって雰囲気になってると、オリバーが、

あれクロコダイルじゃね?と。

よく見ると、クロコダイルの背中のゴツゴツしたところが見えてる!

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しかも、三匹くらいいる!

全身見たかったけど、叶わなかった😭

 

荒野をドライブ!

クロコダイルの背中を見た後は、適当にドライブ。

カナナラは田舎なだけあって、自然がものすごく豊か。

エレンの運転で、道無き道をどんどん進む。

最終的に辿り着いたのはこんな場所。

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鳥の声が聞こえて最高!

車の屋根に登ってのんびりする。

オリバーとエレンの写真↓

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30分くらいゆっくりして、この日は宿に戻った。

 

カナナラで唯一泳げる場所へ

それから数日経ったある日、フランス人のゴンザークとカナダ人のウッキと一緒に、swim beachという所に泳ぎに行くことになった。(2人とも名前のクセ強め。)

 

カナナラバックパッカーズからは歩いて1時間ほど。

めちゃくちゃ暑い中、ゴンザークのスピーカーで音楽流しながら歩く。

 

2人は洋楽のラップを流して

「この曲アツイよな!」

みたいに盛り上がってるけど、俺は洋楽のラップをほとんど知らないから付いてけない。(笑)

 

2人とも車が好きらしく、

「俺は将来この車を買うんだ」

みたいな話してるけど、車も全然分からないから付いてけない。(笑)

 

「ひこはどんな車が好き?」

って聞かれて、

ルパン3世が乗ってるフィアットが可愛いから好きだ」

って答えたら、

「俺はフィアットの工場で働いてたことがあるけど、プラスチックを使いまくってて質が悪いからダメだ」

なんて酷評された。(笑)

 

そんなこんなでswim beachに到着。

 

そこは、川に1本の高い木が突き出している場所。

地元の子達が飛び込んで遊んでいた。

 

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↑ゴンザークとの写真。なんか俺の顔キモかったから消した。(笑)

後ろに見えるのが飛び込み用の木。

 

3人で飛び込んだりぷかぷか浮いたりして遊んでると、あることに気づいてしまった。

 

あれ、この前行った大きい橋が見えるぞ。。。

 

3人でクロコダイルを見に行き、無事クロコダイルを見つけた橋。

柵やロープなどで区切られてはおらず、そこから1km程離れたところで、今俺たちは泳いでいる。

 

そのことをゴンザークとウッキに伝えると、ゴンザークが大きい木の枝を持ってきて、「これでクロコダイルを倒してやる!」と息巻いている。

 

するとウッキが、

「あれクロコダイルじゃないか!?」

 

確かにコブのようなものが見える。

俺たち3人は猛ダッシュして陸に上がった。

 

するとその様子を見て周りの子供達が爆笑してる。

クロコダイルじゃなくて海草だったらしい。(笑)

 

地元の人達は安心しきって遊んでるし、結局クロコダイルを見かけることはなかったけれど、どうしてここが泳げるスポットになってるのかは未だに謎。。

 

以上、クロコダイルのいる川で泳いだ話でした!!

ああカナナラの自然大好きだなあ。

 

次回もカナナラ編だよ!

続く、

 

 

 ひこ

 

 

 

 

 

 

 

 

【人生史上最高にストレスフリーな日々】カナナラでの1日を紹介!!オーストラリアワーホリ体験談③

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前回のあらすじ

カナナラでの滞在先であるカナナラバックパッカーズに無事到着。

そこは、パリピ達が集まる場所だった。

しかし、親友のアレクシーと俺は、彼らとは一線を画しトレーニングに励むことになる。。

詳しくはこちら↓

 

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今回の記事では、

カナナラでの人生史上最高にストレスフリーなライフスタイルを紹介!

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

なんか仕事ないらしい。

ファームジョブを求めてやってきたカナナラ。しかし、まだ収穫のシーズンは始まっていないらしい。

俺が来たのは4月の前半だけど、3月からここに滞在してる人もざらにいる。

彼らに、

「収穫のシーズンはいつ始まるのか知ってる?」

と聞いてみると、

「俺が来た時はあと2週間で始まるって聞いたんだ。でも今でも、あと2週間で始まるって噂が流れてくるよ。」

つまり、根拠のない情報が出回っていて、誰もいつ仕事にありつけるか知らないってこと。

まあでも焦っても仕方ない、今を楽しもうぜ。

そんな雰囲気がこのカナナラバックパッカーズには漂っている。

もちろん俺もその1人。

 

誰にも縛られることなく、好きな時間に起きる。

起きたら庭に出て、日差しと風と鳥の声を感じながら瞑想をする。

その後、毎日決まった朝食、シリアルの牛乳がけとリンゴ1個を食べる。

ああなんて素晴らしい朝。

 

一方、相部屋のアレクシーは、毎朝6:00には起きて、Kelly’s knobという山の頂上までランニングをする。

すごい奴だ。

俺も、2日に1回はランニングに付き合う。

なぜかアレクシーは、俺に才能を感じていて、勝手に俺のトレーニングコーチに就任した。

最初は、頂上まで行って日の出を一緒に見て帰ってくるだけだったのに、次第には麓から頂上までを3往復するメニューを押し付けてきて、最後には6往復もさせられた。

何度途中で帰ってやろうと思ったことか。

それでもやりきった俺はMなのかもしれない。

それでも朝のランニングは本当に気分がいい。

山登りをする分、疲労は桁違いだけど、目にする日の出は本当に素晴らしい。

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午前

ランニングから帰ってきたら、朝食を食べ、2人で卓球を5時間くらいぶっ通しでやる。

早起きしてるから、他にやることがなくて暇なのだ。

幸いアレクシーも俺も、体を動かすのは好きだし、卓球のレベルがちょうど同じくらいで、いい練習相手になった。

5時間延々とボールを打ち続ける。

アレクシーはおちょけて、

「ひこ、俺たちは何のためにカナナラに来たか知ってるかい?」

俺「ファームジョブだろ?」

アレクシー「違うよ、ピンポンインターンシップだよ!」

なんて言ってくる。

 

アレクシー「俺たちの目標はオリンピック出場だ!」

彼はずっと適当なことを言ってる奴だ。

 

疲れてくると、昼ご飯の準備に取り掛かる。

俺にとってはカナナラが人生初めての自炊だった。(笑)

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オーストラリアはパンが安いからだいたいはサンドイッチを作る。

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たまに贅沢したい時は、豪勢にステーキ。

100%オレンジジュースは欠かさず飲む。

 

午後

さすがにヘトヘトになってるから、昼寝したり、パソコンで作業したり、友達と喋ったり。

元気がある時は、また卓球をしたりダーツをするし、朝走らなかった日は1人でkelly’s knobを走ってた。

 

ちなみに、カナナラバックパッカーズでの俺のあだ名は、"ピンポンマスター"だった。上手いからじゃなくて、いつ見ても卓球してるから。(笑)

 

夕方になると、2人で庭に出て、筋トレ。アレクシーは、自分で考えた独自のメニューを押し付けてくるけど、なんか癪だから、俺は自分なりのメニューをこなす。

筋トレが終わると、晩御飯を作る。

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自慢の料理、名付けて「3栄養素盛りプレート」(ダサい)

 

晩御飯を食べ終わった頃には飲み会が始まってるけど、アスリート並みの生活をしてるから体がヘトヘトだし、アルコールを摂取するとせっかくつけた筋肉がなくなっちゃうから、ほとんど酒は飲まなかった。

1週間に2回くらいは、ワインボトル持って飲み会に参加した。

スピーカーで音楽を流し、好きに喋り、寝たくなったら寝る。

 

これが何もない時の1日の流れ。

 

伝わってると嬉しいけど、本当にストレスフリー。何にも縛られない。

そして1番ストレスフリーだったのは、上は裸で下はノーパンに水着という格好で毎日を過ごせること。(笑)

上裸で山を走り回ってたし、卓球してた。

 

ちなみに、カナナラバックパッカーズはざっくり3つのグループに分かれてた。

1つは飲み軍団。

朝からプールサイドの大きい机で酒を飲みながらだべってる。

 

もう1つは筋トレ大好き軍団。

筋トレしてランニングして、毎日ステーキを食べてる。

 

後は、そのどちらにも属さない人達。俺みたいな。

 

それぞれが、自分の好きなように生活してた。そんな空間。

 

以上、カナナラでの人生最高にストレスフリーで、人生最高に運動した生活でした!

 

次回は、カナナラで体験した面白い出来事を書くよ!

 

続く、

 

 

ひこ

 

 

【パリピ達と暮らしてました】カナナラってどんな町??到着初日!

前回のあらすじ

オーストラリアはダーウィンで、海外の飲みゲーを体験。

その翌日、無事に目的地であるカナナラに到着。

後に親友となるフランス人のアレクシーと共に、アボリジニの人達に囲まれながら、ガソリンスタンドで夜を明かす。

 詳しくはこちらから↓

 

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ついに、カナナラでの生活が始まる。

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 カナナラという町について

 カナナラは、見ての通りオーストラリアの北部に位置しており、熱帯だ。

蝿がブンブン飛び交ってる。

 

ファームジョブで有名な町で、かぼちゃやメロンのピッキングが主流。時給は平均A23$(1840円)と高い。

稼ぎたいワーホリメーカーがこぞってやって来るから、本当に欧米人が多い。ただ日本人には全然知られてなくて、俺が行った時は日本人は1人もいなかった。

 

本当に小さい町で、娯楽なんて何一つない。まあそれが稼げる要因の一つなんだろうなあ、お金使わないから。

バッパーに泊まってる人たちは

「酒でも飲まねえとやってらんねえよ!」

って言ってた。

だから結局金使っちゃってる。(笑)

 

また、アボリジニが多く住んでいて、彼らは昼間は木陰でだべっていて、夜になると一気に行動しだす。

いつ寝てるんだろう。(笑)

 

ここに滞在する方法としては、

①バッパーに泊まる

②シェアハウス

③キャラバンパークでテント生活

の3択になると思う。

友達をいっぱい作りたいなら①か③を選ぶべきで、俺はテント生活しようと思ってたけど、キャラバンパーク でゴタゴタがあったとかで閑散としてたからやめてバッパーに泊まってた。

 

カナナラバックパッカーズはパリピ宿だった。

4/12の朝6時、アレクシーと俺はやっとカナナラバックパッカーズに辿り着いた。

だだっ広い共有スペースには、ダーツ、卓球台、さらにはプールまで。

これだけでもパリピポイントは高いのに、極めつけとしては、毎晩パーティしてる。

 

このバッパーにはその時40人ほどのワーホリメーカーが滞在していて、4月前半にはまだピッキングのシーズンが始まっておらず、誰も仕事を持っていない状況。

じゃあずっと何してんだって言うと、昼間から酒飲んでだべってる。(笑)

そして夜はパーティしてる。

もうなんか、酒飲みに来てるやん、って感じ。

 

アレクシーは山を走る人だった。

アレクシーと俺は、4人部屋に2人だけで割り当てられた。

徹夜明けなので2人ともすぐに寝てしまい、起きたら夕方に。

カナナラには、Kelly's knobという標高100m弱の岩山がある。↓

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アレクシーに、

「今からその山の頂上まで走りに行くけど一緒に行かないか?」

と誘われた。

なんでもアレクシーは、山でのマラソンの選手らしく、将来はマラソンのコーチになって子供達に教えたいらしい。

山道でマラソンなんかやったことなかったから面白そうだなと思い一緒に行った。

頂上にて↓

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アレクシーが神様みたいに輝いている。(笑)

標高が低いから、麓から頂上まで走って約17分ほどしかかからない。でも、傾斜が急でめちゃくちゃきつい。

アレクシーはストップウォッチを持ってタイムを測りながら走るというガチっぷり。

結構本気で走ったところ、アレクシーも驚くようなタイムを出したらしい。

アレクシーが、

「ひこ!お前は才能がある!鍛えればもっと伸びるはずだ!」

などと言い出した。

そのせいで、毎日一緒にトレーニングする羽目になってしまった。(笑)

 

速すぎる英語についていけない。

到着初日の夜、バッパーでパーティがあった。

パーティって言っても、共用スペースの大きな机に、各々が酒を持ち寄って座って、好き勝手に喋るだけ。

飲みゲーもやった。(笑)

トランプを使うやつだったけど、ルールが複雑すぎて覚えてない。

このバッパーには40人程が滞在しているが、なんとアジア人は中国人の男性と俺だけ。

他はみんな欧米の人で、英語がネイティブじゃない人も多いはずなのに、みんな熟練バックパッカーだからか、ネイティブ並みの英語を話す。

一対一なら、まだなんとかなる。でも酔いが回ってさらに数人で話し出すともう手がつけられなかった。

俺は英語には自信があった。高野山では外国人相手にチェックインもしてた。

でも、まだまだだったんだ。

この日はめちゃくちゃ落ち込んだ。

結局、この速さに耳が慣れるまで1週間かかった。

1週間後からは、なんとか聞き取れるようになってきたけど、話す方はまだまだ。

英語って奥が深い。

 

カナナラ初日はこんな感じだった。

パーティでは英語が聞き取れないながらも、何人か友達を作れたし、まあまあ好調なスタート。

 

次の日からは、アレクシーと2人で、昼から飲んだくれてる人たちを尻目に、トレーニング三昧の日々!

クロコダイルだらけの川で泳いでみたり、荒野をドライブしたり、kelly’s Knobの頂上で満点の星空のもと寝てみたり、

カナナラでの無職ゆるゆるライフを書いてくよ。

 

続く、

 

 

ひこ

 

 

 

 

 

【海外の飲みゲーは独特でした】日本を出国してオーストラリアのカナナラに着くまで

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こんにちは、ひこです!

 

今まで、高野山に篭っていた話を書いてきたけど、今回からオーストラリア編が始まるよ!!

俺は適当だから、またひょっこり高野山でのことを書くかもしれないけど。(笑)

 

高野山編は、全7話書いて、これといってドラマチックな終わり方はない!ごめんなさい!笑

 

高野山には1ヶ月間篭ってたけど、なんと最後の1週間、インフルエンザ発症して寝込んでた。(笑)

 

4人で1部屋に住んでいて、俺が最初に発症して、次の日にはもう1人、さらに2日後にはもう1人、と発症していっちゃった。

完全に俺がうつしてる!申し訳ない!

 

相部屋の中で、カンボジア人の男の子だけはケロッとしてた。(笑)

遺伝子が違うのかなあ。

 

熱が引いた時には、もう山を降りる日に。

最後あんまり話せなかったね、なんて言いながらみんなとお別れした。

絶対また訪ねようと思う。

 

高野山編第1話はこちらから↓

 

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 それでは、オーストラリア編、始まり始まり。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

目次

 

 

なぜオーストラリアへ?

高野山で、オーストラリアで2年のワーホリ経験がある師匠に出会った。

師匠は、欧米人が集まる、知る人ぞ知るドープな町カナナラで1年以上ファームジョブ をしていて、そこでの話をいっぱいしてくれた。

 

外国人に囲まれて長期間過ごしたことで英語で夢を見るようになったこと、野外で音楽をガンガン鳴らして踊り明かすブッシュパーティのこと、テント暮らしをしていたこと…

ああ俺も行きたい!

半年間の休みを得たので、オーストラリアに行くことを決意。

 

師匠が、働いていた農場の採用担当に連絡をとって、俺に仕事を紹介してくれると言うので、師匠と同じカナナラを目指すことに決めた。

 

オーストラリアへ行くきっかけについて、詳しくはこちらから↓

 

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無職ホームレスでオーストラリアへ

高野山を下山して東京へ帰り、ワーホリ準備など諸々で忙しくしていると、師匠から連絡が。

「ごめん、人足りてるらしくて、仕事紹介できへんわ。」

 

最初は落ち込んだけど、すぐに気持ちを切り替えた。

もともと、人に仕事を紹介してもらおうなんて甘えた気持ちでいたのがいけないんだ。

それに人と同じことをしてても面白くない。自分で道を切り開いていかないと!

 

カナナラには、ファームジョブ を求めてたくさんのバックパッカーがやってくるから、出来るだけ早めに行って友達作り(オーストラリアはコネ社会)をしないと、仕事を得られない。 

 

 面白くなってきた。

 

 日本出発日に考えたこと

出発日は4/9。高野山を降りたのが3/27だから、本当に弾丸。

 

友達に、6ヶ月間オーストラリアに行ってくる、と伝えると、みんなが

すごいね、危険じゃない?、俺やったらできない、

といった言葉をかけてきた。

だけど、俺にはその感覚が分からなかった。

「挑戦こそが面白いんやん、6ヶ月も休みなのに日本に留まるのはつまらんもん」

そう思っていた。

 

でも、飛行機に乗り込んだその時、初めてみんなの感覚がわかった。

今から、大学初めての海外、オーストラリアに行きそこで6ヶ月を過ごす、そのことが初めて実感できたんだと思う。遅すぎるけど。

「無計画でオーストラリアに行く。そこで6ヶ月間生き抜く。なんて馬鹿でぶっ飛んでいるんだ。」

なぜか体の震えが止まらなかった。

とりあえず寝て落ち着こうと眠りにつく。

 

それでも目が覚め中継地のケアンズについた時、ワクワク感しかなかった。

「今日は何をするのか、明日生きているのか、何も分からない。

頼りになるのは自分だけ。そうだ、この感覚だ。

日本でぬくぬく育ってきた俺が求めていたのは、この生きてるって感覚なんだ!」

 

ダーウィン到着!

最初の目的地はダーウィンという街。

カナナラにも一応空港はあるけど、めちゃくちゃ高くつく。

ダーウィンからカナナラへバスが出ているから、ダーウィンに一泊してカナナラ行きのバスに乗る。

 

パリピの巣窟みたいな宿へ

booking.comで事前にYHAという安宿を予約していたからそこに向かう。

1階でチェックインを済ませ2階に上がるとそこは、、

プール!バー!音楽ガンガン!

一瞬で悟った。やばい、パリピ専用の宿に迷い込んでしまった。

 

パリピゾーンを通り抜けて部屋に入ると、一人の男がいた。

お互い自己紹介を交わしたあと、スーパーに買い出しに出かけた。

 海外の飲みゲーに参加!

帰ってくると、相部屋のイギリス人の男が友達と飲んでいる。

よし、参加しよう。

「Can I join you?」

「Sure.」

快く受け入れてもらえたものの、一つ問題が。

ネイティブの英語速い。。

それでも頑張っていると、知り合いらしき三人組がやってきて飲みゲーを始めた。

相部屋の男たちは参加しなかったけど、俺は面白そうだから参加した。

 

ルールはというと、

A〜Zまでのアルファベットを縦に書いた紙を用意する。

いっせーのーでで、参加者が0〜10までの本数の指をだす。

指の合計本数分をAから数えたアルファベットから始まる、お酒のブランド名を言う。

言えなかったら飲む。

というもの。

注意点としては、言うのはブランド名であって酒の種類ではないということ。

最初はそれに気付かず、Vの時にウォッカって言ったら怒られた。

 

正直、お酒のブランド名なんか数えるほどしか知らない。

最初のターンはEが回ってきて、エビス!と言ったら歓声が上がった。

次のターンはHが回ってきて、Heineken!と言ったら

「You're a lucky boy!」って言われた。

それからのターンは全部飲んだ。(笑)

だって知らんもん。

 

いざ、カナナラへ!!

次の日は、綺麗な海を見てフィッシュ&チップスを食べて、ダーウィンを観光。

https://www.instagram.com/hikkodayon/p/BwGiHlnhGkF/

人生楽しんでこ!というわけで、僕はDarwinで無事に楽しく過ごせています。今日の午後に目的地であるKununurraに向かいます。バスで9時間、しかも到着が0:40の深夜だから宿が開く6:00まで路上で待たなあかんという、いきなりの試練です。明日もこの笑顔が残ってますように(^_^) Let’s have fun life!!Now I’m in Darwin. I’m going to Kununurra, my destination, this afternoon.I’ll overcome any difficulties with this smile.#darwin #australia #workingholiday


そして昼頃、カナナラ行きのバスに乗り込む。

このバスのカナナラへの到着時間は午前0時。

カナナラの宿は事前に予約しておいたんだけど、ピックアップは朝6時からしか無理だって言われた。

じゃあ6時間どうしたらいいの?待てる場所あるの?って聞くと、

知らん。って。

いきなりの苦難だよ。。

 

 

芽生えた友情

バスは予定通り深夜にカナナラのガソリンスタンドに着いた。

こっからどうしようと思っていると、もう1人うろちょろしてる人がいる。

彼は同じバスに乗ってた人だった。

声をかけてみると、彼も同じ場所に泊まるつもりで、6時まで待たなければならないと言う。

それならということで一緒に待つことにした。ガソリンスタンドで。

 

売店の前で、バックパックを枕がわりにして寝転びながら、6時まで徹夜で語り明かした。

彼はフランス人の23才の男で、名前はアレクシー。

おちょけな面白い男で、ニュージーランドで1年間ワーホリしていたらしく、俺を頼りな!みたいな雰囲気を出してくる。

 

カナナラはアボリジニが多く住んでいる町で、深夜にも関わらずアボリジニの人たちがガソリンスタンドの前に溜まっていた。

彼らは急に喧嘩し出して、目の前で何人かが警察に連行されてった。

アボリジニの子供達と警官が一緒にかくれんぼして遊んでた。

 

そんな様子を見ながらアレクシーと話してるといつの間にか6時に。

 

アレクシーとはこの後、同じ部屋で3週間過ごし、親友になった。

 

続く、

 

次回からは、カナナラでの日々を書いていくよ!

 

 

ひこ

 

 

 

 

個性と将来についての悩み。自分なりの答えを見つけた軌跡。

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こんにちは、ただ今カンボジアシェムリアップ(アンコールワットがあるとこ)に滞在しているひこです。

 

今回は、ブログ10記事目の節目ということで、僕が高校から大学にかけて、

 

「僕の個性ってなんだろう?」

「僕は将来成功できるのか?」

 

という2つの悩みにもがき、自分なりの答えを見つけた経験を、赤裸々に綴りたいと思います。

 

何か物足りなさやモヤモヤした気持ちを抱えている大学生にとって、僕の経験が役に立てば良いな。

大学生だけじゃなくて、大人の方にも、新鮮な見方を提示できるんじゃないかな。

 

そういう思いで書いています。

 

長くなると思いますが、最後まで読んで頂ければ幸いです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

目次

・個性について

・将来成功したいという焦りについて

・自分と向き合い続けた高校時代

・挑戦しながらも、人との関わりを避けていた大学1年目

・個性は人との関わりで見えてくる

・個性とは

・成功よりも楽しさを追い求める

・楽しさを追求する大切さ

 

個性について

俺は、小さい頃からずっと、自分は無個性だ、と思いながら過ごしてきた。

この思いは、今でも変わらなかったりする。

 

それよりもっと嫌だったのは、

「自分がどんな人間かが分からない」

こと。

 

例えば、

ある人と話すときは、めちゃくちゃしょうもないボケを連発して陽気な人間になるのに、

ある人と話すときは、全然喋らない冷静な人間になる。

 

どれが本当の自分なんだろう。

 

というより、色んな人間になれて、どんな集団にも上手く適応できる自分が、

自分の芯がない人間=無個性な人間

のように思えた、という方が近い気がする。

 

大学入学当初から、あまり人と話さない道を選ぶようになった。

本当の自分が分からない状態で人と話すことが、無防備に感じられて怖かったから。

 

将来成功したいという焦りについて

俺は野心が強く、将来何かを成し遂げたいと思っていた。

 だからこそ、将来成功したいという焦りは相当なものだった。

 

野心などなく、楽しい大学生活/社会人生活を送っている人でも、

このままで将来は大丈夫だろうか?

という不安感を覚えることはあると思う。

 

SNSで、自分と同年代で何か凄いことをしている人を見つけるたび、すごい焦りを覚えたし、

大学で何をするかは、楽しさなど二の次で、自分の成長に繋がるかどうか、を基準にして選択していた。

 

これらの悩みは、高校時代に遡る。

 

自分と向き合い続けた高校時代

 

中学3年生の1年間で、司馬遼太郎作『竜馬がゆく』という全8巻の小説を10周以上した。

8巻まで読んだらまた1巻へ。

それを1年間繰り返した。

 

竜馬がゆく』の影響で、

「人生を通じて大きな夢を追いかけたい」

と思うようになった。

 

ちょうどその頃、授業で地球温暖化の深刻さを学んだことから、将来の夢は、

地球温暖化を解決する革命家」

になった。

 

「革命家になり前人未到のことを成し遂げるには、勉強と部活を両立する普通の高校生活を送っていてはダメだ」

との思いから、高校1年になるタイミングで剣道部を退部し、高校3年間を革命家になるための活動に捧げることにした。

まずやったのは、

図書館に行って環境問題や経済体制についての本を読み漁り、

地球温暖化を解決するには、世界中の国々が1つにまとまり『地球国』になって、一丸となり取り組めばいい」

との考えを掘り下げた、「地球国論」という論文を執筆し始めること。

 

しかし、地球温暖化や経済体制について語るには、余りにも知識/経験が不足しており、今の自分には不可能だと感じた。

 

そこで、

「成功のレベルと人間性のレベルは比例する」

という考えから、

「高校3年間は自分を成長させるための期間にしよう。とことん成長して、大学に入り自由な時間が増えたら一気にアウトプットしよう!」 

と割り切り、とことん自分の成長に向き合い始めた。

 

教養を付けようと、古典の名作と呼ばれる映画や小説を観/読み漁った。

リーダーシップを学ぶために、体育祭で団長を、文化祭でデコレのチーフを務めた。

隙間時間には、

自分はどんな人間なのか、

自分は今どのレベルまで到達してるのだろうか、

と問い続けた。

 

そして高校3年の終わり、東京大学への入学が決まった時、俺の心の中にあったのは、

「まだまだ自分は十分なレベルに達していない」

という思いだった。

 

というよりも、3年間こんなにも自分と向き合ってきたのに、

自分がどんな人間なのか、明確な答えが出せなかったし、

大学でどのような活動をすれば革命家になれるのか、想像もつかなかった。

 

「高校はインプットの期間にして、大学に入ったらどんどんアウトプットしていく」

という人生設計をしていたのに、インプットが足りていないと感じた俺は、消極的な大学1年目を迎えることになった。

 

挑戦しながらも、人との関わりを避けていた大学1年目

革命家になるために何をしたらいいかは全く分からなかったものの、とりあえず自分磨きをするための行動をした。

 

2つのサークルに所属し、

六本木のレストランでバイトを始め、

渋谷近くのベンチャーで長期インターンも始めた。

 

「自分の成長」に焦点を当てていた俺は、友達作りには精をださなかった。

インターンの同期は1人だったし、レストランには同期なんていなかった。

 

高校とはガラッと変わった環境に適応しようとしながら、忙しさにまみれているうちに半年が経った。

 

依然として、

本当の自分はどんな人間か、

自分がどこまで成長できているか、

は全く分からなかった。

 

個性は人との関わりで見えてくる

高校3年間、そして大学1年の半年間を費やしても全く答えの見えない、「個性とは何か」という問いにいささか疲れていたのだろう。

 

大学1年の夏休み、実家に帰省した時、初めて

「本当の自分が分からない」

という悩みについて人に相談した。

 

相談した相手は、映画評論家の叔父さん。

普段から知性を感じる言葉遣いをする人だ。

 

「実は、本当の自分が分からないという悩みを抱えているんだ。

高校1年からずっと考えてきたけど、全然分からへん。

自分についてはっきり分からん状態で人と話すのは無防備に感じられて、人と話す気にあまりなれないんだ。」

と話しかけると、叔父さんから、

 

「うーん、本当の自分というのは、考えて分かるものじゃなくて、人と話すことで分かっていくものだと思うよ。

色んな人と話して、色んな人の価値観を聞く。

そうすると、

あっ、これは俺もそう思う。

うーん、俺はそうは思わないな。

というような気付きが自分の中に溜まっていって、自分の価値観の軸が浮き彫りになっていくんだと思うよ。

だから積極的に色んな人と話すことが大事なんじゃないかな。」

という答えが返ってきた。

 

妙にスッキリした気分になった。

 

俺に必要なのは、

"本当の自分"を探して思考に沈むことではなくて、

色々な人と話すことなんだ。

 

早速実践してみることにした。

 

どうすれば色んな人と話せるのか分からなかったから、所属していたサークルの先輩全員に、

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というメッセージを送った。

 

いきなりこんなメッセージを送るのは、すごく勇気のいることだった。

でも、勇気を出せば、みんなが応援してくれた。

 

イベントならFacebookで探せばいっぱい見つかるよ!

など有益な情報をくれた。

 

その中で、ある先輩が、1人の男性を紹介してくれた。

なんでも、

「彼はすごく顔が広いから、何か助けになってくれると思うよ」

ということらしい。

 

彼との出会いは、俺の大学生活をガラッと変えた。

 

彼と知り合うと、早速、彼の友達の送別会に誘われた。

全員初対面の会だったけど、自分を変えるために気を奮い立たせ参加した。

そこで出会った人たちは、刺激を与えてくれる尖った人ばかりだった。

休学してる人なんてザラだし、facebookの友達は1000人超えばかりだ。

そしてさらに、その人たちは”よんなな会”なるものの運営メンバーが多いらしい。

俺は、その”よんなな会”にのめり込み、おそらく計200人以上の尖った人たちと出会うことができた。

 

個性とは

では、実際たくさんの人たちと対話してみて、

「個性とは何か?」 

という問いに対しどんな答えが出たのか。

 

俺の個性は、

「瞬発力が取り柄(ふっ軽)で、どんな人の考えも受け入れる柔らかさがあるところ」

 

そう、答えが出たのだ。まだまだ浅いけど。

 

個性を認識するプロセスは、叔父さんが言っていた消去法のような感じとは違って、2つあると感じた。

 

1つは、初対面の人と腹を割って話すとき、どうしても自分について語らなければならない。

最初は、自分のことなんて分からないから、たどたどしく、支離滅裂な語りになってしまう。

でも、なんどもそれを繰り返すと、だんだんはっきり言えるようになり、さらには内容にも自信を持てるようになる。

要は、場数を踏む、という感覚。

 

もう一つある。

人が自分について言ってくれることが核心をつくことがあるということ。

実際、俺が自分の個性と認識している、瞬発力・柔らかさはどちらも人から言われたことだ。

周りにいてる人の方がよく見えていることもある。

つまり、人の意見を得る、ということ。

 

まとめると、個性というのは、色々な人と話すことで、

自分について語る回数を増やし、

人からの意見を得て、

認識するもの。

 

これが俺なりの答え。

 

成功よりも楽しさを追い求める

 大学入学当初から11月後半まで、

成功するには何をすればいいんだろう? そんなことを考えながらずっと動き出せないでいた。

 

11月後半、駒場祭(東大の文化祭)の日、母親が上京してきて、久しぶりに話した。

 

成功するには何をすればいいか分からないもどかしさ、革命家になるには何をすればいいのか? それを母親に相談すると、

「その答えは一生出てこーへんと思うよ。

そもそも何で革命家になりたいの?

その理由が私には見えてこない。

無理せず、楽しみなさい。あなたが楽しんでいれば、周りは付いてくる。

それがあなたの取り柄でしょう。」

 

その答えは一生出てこーへんと思う、それを聞いた時、すごく安心したことを覚えている。

無駄なことにたくさんの時間を費やした、と後悔するよりも、ああ、もうこの問題に悩まなくていいんだ、という安堵の方が大きかった。

 

「どんなことをしてみたい?」

少し間を置いて母親が聞いてきた。

 

将来に繋がるか、そんなしょうもないフィルターは一度取っ払って真剣に考えてみた。

 

ニュージーランドで放牧したい、寺にこもってみたい、ヒッチハイクしてみたい、北海道で狩りしてみたい、、」

 

自分でも驚くほどいっぱい出てきた。

今まで、将来に繋がらないという理由でこれだけの欲求を抑えてきたんだ。

それに気付いて愕然とした。

 

楽しさを追求する大切さ

実際に自分の欲求に従ってみた今、俺はこう考えている。

 

「人に貢献して成功するなら、自分が楽しむことが不可欠。だって自分が楽しんでいないと、人を楽しませることなんてできないから。

そして、成功はコントロールできないけど、楽しさはコントロールできる。

これをしたら絶対に成功するかは分からないけど、これをしたら楽しいかどうかは自分の直感が分かってるから。

自分がコントロールできないことで悩んでいても仕方ない。

成功なんておまけ。楽しさを追求しよう。」

って。

 

実は、野心が消えたわけじゃない。

楽しいことを追求してみて、人の役に立つことができるかもしれないという手応えを感じている。まだ言語化できるほどはっきりしたものではないけれど。

成功したいと思いながら何もできないでいるより、楽しさを追求してとりあえずでも前に進めている方がいいじゃない。

 

ひこ

 

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今回は、僕の体験に基づいて、「個性」と「将来」について考えていることを書いてみました。

これらについて悩んでいる人達にとって、少しでも役に立てば幸いです。

 

「考えていることが正しく伝わる文章にする」ことに全力を注いだので、いつものブログのような強調やカラーをほとんどしていません。

こっちの方が読みやすいかも!など、ブログの内容/書き方について何か意見があれば、気軽に教えてください。

 

これからもよろしくお願いします。

 

【ナンパしたことないってそれでも男なん?】高野山で説教!?高野山に1ヶ月篭った男の体験談➆

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前回のあらすじ

 

オーストラリア行きのワーホリビザ申請に悪戦苦闘。(下記参照↓)

 

www.hikolog.com

 

 

 

今回は、ビザ申請に頭を悩ませている時に、ナンパについて説教された話。

 

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 イカつい人TOP2の二人とご飯に

いつも通り仕事をしていると、先輩から声をかけられた。

 

先輩「院家さんが、今日の夜一緒にご飯行こうって。」

 

”院家”とは、高野山特有の言葉で、副住職さんのことを指す。

 

俺のいる寺の院家さんは、背が高く体はゴツく、現役のプロのカーレーサーという、かなりイカつい人。

 

院家さんとはまだちゃんと話したことがなかったからとても楽しみだ。

 

そしてこの誘ってくれた先輩もなかなかイカつい人で、

小さい頃からクラブに通いつめ、キャッチの経験も経て、最終的には風俗店を4店舗経営していたという猛者。

同僚に

「この人の人生は書籍化できる」

と言わしめる人だ。

 

仕事終わり、誘ってくれた先輩、ハム太郎さん、相部屋の二人と連れ立って

居酒屋「みやさん」へ。

 

この人達については、下の記事から!

 

 

www.hikolog.com

 

 

みやさんには、すでに院家さんが家族とともにいた。

 

話は、院家さんの学生時代に。

 

院家さん「俺は中学生の頃からクラブに通ってた。大学生くらいになると、クラブ貸し切ってイベント開くようになって、赤字出すわけにいかんから、お金の回し方をそこで学んだ。その感覚が、今の寺経営に生きてきてる。」

 

「大学生の頃は、夕方頃まで寝て、そっから駅行ってナンパしてたわ。

携帯持って後ずさりしながら、番号教えて?って言いすがるから”バックステップの玄さん”って呼ばれてた。」

 

俺とは全然違う世界に生きている…

 

感心しながら楽しく聞いていると、

院家さんの奥さんが、

 

「ひこくん、あんたナンパしたことないの!?」

 

ひこ「はい、ないです。」

 

奥さん「ええ!?あんたそれでも男なん!?男やったらナンパの1つくらいしなさいよ!」

 

なんか説教されてる!

 

ひこ「東京帰ったらします…」

 

 

これを聞いて、相部屋の暴走族上がりの男の子が、

「ひこさん、俺3/30にak69のライブ観に行くんですよ。その後、一緒にナンパしましょうか!

俺、東京で1回ナンパして成功したことありますよ」

 

なに!?それは心強い、、

 

ひこ「よし分かった、ナンパしよう!」

 

ナンパなんて殴ってでも止めたい。。

散々な目にあうのだから😱

 

 

続く、

 

ひこ

 

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